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国司信濃

作成日:2015年2月28日、公開日:2017年4月12日

国司信濃について調べる資料をご紹介します。資料は山口県資料コーナーの他、書庫内にあります。

なお、この調べ方案内の印刷用ファイルはこちら(PDF,250.78KB)です。ダウンロードしてご利用下さい。

◎人物紹介

国司信濃(クニシ・シナノ)

天保13年(1842)~元治元年(1864)
<初名>朝相 <幼名>熊之助 <通称>徳蔵・丑之助・信濃・親相

 萩藩の家老。高洲元忠の次男として生まれ、六歳で国司家に養子に入り、弘化4年(1847)に家督を継ぐ。文久元年(1861)年には大組頭となり、文久3年(1863)の長井雅楽(ナガイ・ウタ)の切腹の際には検視役を務め、同年6月、老中に任ぜられ下関(赤間関)防備総奉行、7月に加判役となった。同年の8月18日の政変により藩が失った政治勢力の回復のため、元治元年(1864)の禁門の変(蛤御門の変)で藩兵を率いるも敗退する。幕府への謝罪のため三家老(益田右衛門介福原越後)の一人として切腹。23歳没。

 和歌に長けており、情に厚かったという。万倉護国神社敷地内には国司信濃の銅像が建立されている。

◎資料紹介

伝記

『国司信濃親相伝』(堀山久夫編著 国司信濃顕彰会 1964 請求記号Y289/KU45)
(「秘密」遺書 p110)
(「刻心録」久留米出張の文久3年(1863)五月二十日から六月一日の日記 p158)
( 「高田のおしね」信濃の歌90首ほど p286) 別に写本有

雑誌

『くすのき文化』第2号(楠町文化協会 1969 請求記号Y261.1/J 9)
p5「厚狭毛利・国司・清水 三家の家と人の関係について(二)」堀山久夫
『宇部地方史研究』通巻39号(宇部地方史研究会 2011 請求記号Y262/K 2)
p24「国司信濃公の馬関戦争」武波博行
『くすのき文化』第7号(楠町文化協会 1971 請求記号Y261.1/J 9)
p5「国司信濃の妻弥佐子について」堀山久夫

人物略伝

『野史台維新史料叢書13傳記4』(日本史籍協会編 1974 請求記号R210.58/K 2)
(国司信濃p14)
『名家老とダメ家老』(加来耕三著 講談社 2006 請求記号281.04/N 6)
(攘夷を実行して無念の死をとげた若き俊秀p161)

お問い合わせ先

山口県立山口図書館 総合サービスグループ
TEL:083-924-2114(調査・相談)
FAX:083-932-2817
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