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大村益次郎(明治維新人物調べかた案内 No.9)

作成日:2016年2月27日、公開日:2018年10月x日

大村益次郎について調べる資料をご紹介します。資料は山口県資料コーナーの他、書庫内にあります。

なお、この調べ方案内の印刷用ファイルはこちら(PDF,271.54KB)です。ダウンロードしてご利用下さい。

人物紹介

大村益次郎(オオムラ・マスジロウ)
文政7年(1824)~明治2年(1869)
諱:永敏、通称:宗太郎・蔵六(村田)・益次郎、雅号:良庵・良安・亮安

萩藩の蘭学者であり兵学者。周防国吉敷郡鋳銭司村大村(現山口市)の漢方医の長男として生まれる。家を継ぐため、弘化3年(1846)大阪の蘭方医・緒方洪庵の適々斎塾に入門。後に宣教師ヘボンのもとで英語・数学も習得した。

嘉永3年(1850)帰郷して四辻で村医者を始めたが、嘉永6年(1853)宇和島藩に出仕し、医業は行なわず、兵制改革、砲台の築造、造船、蘭書の翻訳・教授などに従事。国産の蒸気船軍艦「宇和島丸」の雛形を製造した。

安政3年(1856)宇和島藩主・伊達宗城の参勤交代に伴って江戸に向かい、久坂玄瑞も入門した鳩居堂を開塾。また、幕府の蕃書調所教授方手伝、講武所教授を任され、兵学の講義などを行なった。

万延元年(1860)蘭学者の青木周弼や桂小五郎の働きかけにより萩藩に召抱えられる。伊藤博文らの英国密航の際には資金援助を行なった。

慶応2年(1866)兵学校三兵教授役兼軍政用掛に登用され、同年の四境戦争では石州口の参謀として幕府軍を敗走させ、その後の戊辰戦争においても数々の戦果を挙げた。

明治2年(1869)には兵部大輔を務め、軍政改革を実施。農兵論を唱えたことなどから一部の武士に悪評を買い、京都の長州藩控屋敷で刺客に襲われ、病院で療養中に敗血症で死亡。46歳没。

資料紹介

伝記

『大村益次郎』(復刻版)(大村益次郎先生伝記刊行会編 マツノ書店 1999 請求記号Y289/O64)
一生をたどることができるほか、著訳書の簡単な解題、年譜、参考文献として鳩居堂の「弟子籍」なども収録されている。
『大村益次郎先生事蹟』(復刻版)(村田峰次郎著 マツノ書店 2001 請求記号Y289/O64)
「大村先生逸事談話」(p167)には大村と面識のあった人物の談話が掲載されている。
『大村益次郎写真集』(内田伸著 山口市鋳銭司郷土館 1986 請求記号Y289/O64)
大村の肖像画や銅像、関連写真あり。
『幕末・維新の西洋兵学と近代軍制』(竹本知行著 思文閣出版 2014 請求記号Y289/O64)
兵学の観点から大村と山田顕義に焦点を当てた資料。

文書

『大村益次郎雑著』1~4巻(和装本)(大村益次郎 請求記号R390.4)
『大村益次郎文書』(復刻版)(内田伸編 マツノ書店 2000 請求記号Y289/O64)
旧宅を移築した潮満寺の襖から見つかった史料をまとめたもの。
『大村益次郎史料』(内田伸編 マツノ書店 2000 請求記号Y289/O64)
教育関係の文書など、『大村益次郎文書』に掲載されていない史料が収録されている。

関連書

『大村益次郎 物語と史蹟をたずねて』(土橋治重著 成美堂出版 1976 請求記号Y289/O64)
ゆかりのスポットの紹介・行き方などが記されている。

お問い合わせ先

山口県立山口図書館 総合サービスグループ
TEL:083-924-2114(調査・相談)
FAX:083-932-2817
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