メインコンテンツに移動

資料展示「干支 午」

資料展示「干支 午」の様子です。

公開日:2014年1月5日

平成26年(西暦2014年)は甲午(きのえうま)、干支では午(うま)年にあたります。

馬は人間の身近にいて、運搬や牽引の役を担い人の暮らしを支えてきました。日本では古来、馬は神聖な動物とされ、特定の祈願に神々に馬を捧げることも行われてきました。こうした慣わしが、「絵馬」の起源ではないかとも考えられています。

今年の干支 午にちなんで馬が登場する資料をご紹介します。

場所:山口県立山口図書館 2F展示コーナー

展示期間:平成26年1月5日(日曜日)~1月30日(木曜日)

展示資料

山口県の行事
『祭礼行事・山口県』
高橋 秀雄 編, おうふう, 1995[当館請求記号:Y385/M5]
トイトイ(トヘトヘ)
毎年1月14日の夜に、子どもたちが各家庭をまわり、事前に作ったワラウマと供物を交換し、家内安全、無病息災、五穀豊穣などを祈願する伝統行事。かつては山口県下に広く伝承されていた。2012年3月には阿東地域の地福地区で続いている「地福のトイトイ」が文化庁より重要無形民俗文化財に指定された。

干支(十二支)
『神使になった動物たち』
福田博通 文・写真, 新協出版社, 2012[当館請求記号:175.5/P2]

動物・家畜としての馬
『新アルティメイトブック馬』
エルウィン・ハートリー・エドワーズ 原著, 緑書房, 2005[当館請求記号:645.2/N 5]

歴史と馬
【歴史全般】
『馬と人間の歴史』
末崎 真澄 編著, 馬事文化財団, 1996[当館請求記号:645.2/M6]
【交通史】
『旅-馬と人』
馬事文化財団馬の博物館 編, 馬事文化財団馬の博物館, 2000[当館請求記号:721.8/N0]
江戸時代は、街道を馬や人足で往来していた。日本の在来馬は、旅人を乗せたり荷物を搬送したりして、交通を支えていた。
『錦絵 幕末明治の歴史 9 鹿鳴館時代』p37
小西 四郎 編著, 講談社, 1977[当館請求記号:Q721.8/K7]
明治15年 東京銀座通りを走る、日本最初の鉄道馬車の絵。明治36年に市内電車があらわれるまで、東京市民の便利な足として利用された。

馬の文化
【民俗】
『馬の神様仏様 彫像・肖像・聖教』
馬事文化財団馬の博物館 編集, 馬事文化財団, 2008[当館請求記号:385.1/N8]
【絵馬】
『絵馬の世界』
山口県立山口博物館 編集, 山口県立山口博物館, 1991[当館請求記号:Y164/M1]
【馬術・競馬】
『明治開化期の錦絵』
国立史料館 編, 東京大学出版会, 1989[当館請求記号:R721.9/L9]
『馬術読本』
印南 清 著, 中央公論社, 1971[当館請求記号:R789.6/K 1]
装丁・序文は三島由紀夫の手による。
【美術・民芸にみる馬】
『日本の馬の意匠』
馬事文化財団 編集, 馬事文化財団, 1994[当館請求記号:Q750.8/M4]
【馬の物語】
『とようら見聞録』p34-39
豊浦文化協会 [編], 豊浦文化協会, 2012[当館請求記号:Y388/P2]
『ふるさとの風景 下関市豊北町 下関市豊浦町 下関市菊川町』p43
2007[当館請求記号:Y267/N 7]
室津地区・クスの森「雲雀毛の名馬」
室津岬の牧場で雲雀毛の子馬が生まれた。しかし、母馬は間もなく死んでしまう。子馬はいななきを母馬の声と思い、蓋井島と室津岬の間の荒波を幾度も泳ぎ、たくましく成長した。やがて雲雀毛の名馬として名をひびかせ、大内義隆の愛馬となる。その後、陶軍との戦いで傷つき、楠の根元に葬られた。楠は大正11年に史跡名勝天然記念物に指定されている。

このページの先頭に戻る