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明治維新人物ギャラリー資料展示「福沢諭吉と西洋事情」

福沢諭吉と西洋事情

明治維新人物ギャラリー資料展示「福沢諭吉と西洋事情」のポスターです。

公開日:2012年5月16日、更新日:2012年8月15日

幕末の開港によって、近代国家の仲間入りをすることになった日本にはそれまで庶民が知らなかった西欧の新しい制度や事物が押し寄せてきました。このような時代を背景にして幕末明治期には多くの啓蒙書が発行されました。

福沢諭吉の著作『西洋事情』は、欧米の進んだ思想や文化を紹介する図書として多くの人々に読まれました。

期間:平成24年5月15日(火曜日)~8月12日(日曜日)

福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)

天保5年(1835)~明治34年(1901) 66歳

   福沢諭吉は中津(なかつ)藩の下級武士・福沢百助の次男として大阪に生まれました。19歳の時に蘭学を志して長崎に遊学、さらに緒方洪庵(おがた こうあん)の適塾(てきじゅく)に入塾します。安政5年(1858)には、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾(のちの慶応義塾(けいおうぎじゅく)を開きます。

   万延元年(1860)には咸臨丸(かんりんまる)に乗り込み渡米、その後幕府の「外国方」となります。文久(ぶんきゅう)2年(1862)に遣欧使節団に随行してヨーロッパ各国を回り、西洋の近代的な設備や制度についての多くの知識を得ます。慶応2年(1866)31歳の時に、それまでに得た外国での見聞と洋書を読んで得た知識をまとめて『西洋事情』を出版します。

   その後『学問のすゝめ』など数々の著作を出版し西洋文明を広く紹介する一方、日刊新聞「時事新報」を創刊するなどの業績を残し、明治34年(1901)66歳で亡くなりました。

『西洋事情(せいようじじょう)』

『西洋事情』の表紙です。   『西洋事情』は福沢諭吉の著書として特に有名な図書です。初編(三冊)は慶応2年(1866)、外編(三冊)は明治元年(1868)、二編(四冊)は明治3年(1870)にそれぞれ出版されました。ヨーロッパやアメリカへの渡航経験で得た知識と、それまでに学んだ書物の翻訳を基に、政治・経済・学校教育などの制度のほか、病院・ガス灯・蒸気機関など様々な西洋新事物を紹介しています。この本は広く受け入れられ、初編は15万部以上売れたといわれています。大変な人気のため、関西では『増補和解西洋事情』『西洋事情次編』『西洋各国事情』などの偽版が発行されました。海賊版の横行に対して、明治2年(1869)福沢諭吉は、偽版の出版差し止めと版木(はんぎ)の没収を東京府に訴え出ています。

   『西洋事情』は、西洋各国の事物や歴史を紹介する一方、当時日本にはなかった経済や政治などの基本理念や制度を紹介するという一面を持っていました。『西洋事情 外編』では「発明の免許」(特許制度)や「蔵版の免許」(著作権)などについて紹介しています。

展示資料の紹介

『西洋事情』 初編 (全三冊)
福沢諭吉纂輯 慶応二年 尚古堂 当館請求記号 W302 A
『西洋事情』 外編 巻之一
福沢諭吉纂輯 明治六年 慶応義塾出版局 当館請求記号 w302 A
   明治五年に再刻された外編の再々刻版。
   初版は尚古堂から出版されていたが、この版の出版は慶応義塾出版局となっている。表紙は白と黒の斜め縞に銀粉掃き、「慶応義塾蔵版」の文字が散らし書きされている。
『西洋事情』 二編 巻之一
福沢諭吉纂輯 明治三年 尚古堂 当館請求記号 W302 A
   見返し表題の右下に「慶応義塾蔵版之印」の朱印。
   表紙は外編と同様に白と黒の斜め縞に銀粉掃き、「慶応義塾蔵版」の文字が散らし書きされている。
『増補和解西洋事情』 上 中 下 附録 (全四冊)
田中一貞 著・発行、大正9年(1920年)、当館請求記号 R215.8 F0
   偽版とよばれる図書。上、中、下が『西洋事情』の初編三冊に相当し、附録は黒田行次郎が新たに書き加えたもの。本文はほぼ同じだが、難しい熟語に仮名や意味を書き加え、西暦の表記に和暦を加えるなどの加筆がみえる。黒田行次郎は福沢諭吉と同じ緒方洪庵の塾に学んだ洋学者で、ルソーの著作『ロビンソン・クルーソー』を翻訳している。
『万延元年(まんえんがんねん)遣米(けんべい)使節図録 附録 米人の見たる万延日本使節』
田中一貞 著・発行 大正9年(1920年) 当館請求記号  R215.8 F0
   万延元年遣米使節団は、幕府が日米修好通商条約の批准書(ひじゅんしょ)交換のためアメリカ合衆国に派遣した使節団。一行は安政7年正月(1860年3月に万延と改暦)に品川沖でアメリカ船・ポー ハタン号に乗船し、ハワイとサンフランシスコを経由し、ワシントンに上陸。各地で盛大な歓迎を受け、喜望峰を回って9月に帰国した。
   正史一行とは別に護衛船として幕府所有の軍艦・咸臨丸(かんりんまる)が随行した。勝麟太郎(かつりんたろう)(勝海舟)が艦長として、通訳としてジョン万次郎、福沢諭吉は軍艦奉行・木村喜毅きむらよしたけ)の従者として乗船した。

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