企画展「山口線沿線の文学」のポスターです。 山陽と山陰を結ぶ山口線は、大正2年(1913)に小郡―山口間が開業、島根県益田駅までの全区間が開業したのは、大正12年(1923)でした。

明治40年(1907)、現在の山口市湯田温泉に生まれた中原中也(なかはらちゅうや)が中学時代に発表した「温泉集」と題した自作の短歌の中には、「二本のレール遠くに消ゆる其の邊 陽炎淋しくたちてある哉」という一首があります。この光景は、山口線のものだったのでしょうか。

また、小郡や湯田温泉に庵を結んだ放浪の俳人種田山頭火(たねださんとうか)(1882~1940)や、一度は故郷を捨てながら望郷の思いを抱きつづけた私小説作家嘉村礒多(かむらいそた)(1897~1933)、終生ふるさとにあって文筆活動を続けた氏原大作(うじはらだいさく)(1905~1956)などが山口にちなむ作品を残しています。

今回は、現在実施されている「おいでませ!山口イヤー観光交流キャンペーン」に関連して、山口線沿線にゆかりの文学者の作品を展示紹介します。これを機会に、文学を辿る旅に出かけてみてはいかがでしょうか。

期間:平成24年6月30日(土)~10月30日(火)

場所:山口県立山口図書館 2階 ふるさと山口文学ギャラリー

展示冊数:約40冊

主催:山口県立山口図書館

共催:やまぐち文学回廊構想推進協議会

月曜、月末は閉館します。詳細は「図書館カレンダー」を参照してください。

展示資料目録

新山口(小郡)駅から湯田温泉駅まで

岩上 順一(いわかみ じゅんいち) 1907-1958 評論家・翻訳家

吉敷郡小郡町柳井田(現在の山口市)に生まれる。家が貧しかったため、苦学して大学や外語学校に学ぶ。左翼活動も続けながら、昭和10年代から20年代にかけて、マルクス主義文芸批評を精力的に展開した。戦後、新日本文学会の初代書記長を務めた。処女評論集『文学の饗宴』『「戦争と平和」論』等の著書の他、ゴーリキー『作家論』など訳書も多数ある。

『文学の饗宴』
岩上/順一∥著,大観堂書店,1941.1,Y910/H 1
『横光利一』
岩上/順一∥著,三笠書房,1942.9,Y910/H 2

種田 山頭火(たねだ さんとうか) 1882-1940 俳人

現在の防府市の大地主の家に生まれる。大正14年、44歳で出家得度後、行乞の旅を続ける。川棚温泉での結庵を望んだがかなわず、句友の世話で小郡に「其中庵」を設けた。其中庵での山頭火は、多くの句友に囲まれて作品に落ち着きが見えてきた。旅もこの時代が最も多く、平泉まで足を伸ばし、永平寺参籠を果たしている。其中庵が庵住に耐えられなくなり、山口市湯田温泉、竜泉寺の上隣、四畳一間の部屋に移り住み、「風来居」と名づけた。

『風と雲と酒山頭火』
毎日新聞社∥[編],毎日新聞社,2001.01,Y911.3/N 1
『山頭火全日記 第7巻』
種田/山頭火∥著,春陽堂書店,2004.1,Y915/N 4

山頭火は、昭和13年11月、小郡の其中庵より山口湯田町の借家に移り、「風来居」と称した。その頃の日記からは、文学青年たちと交流したことも窺われる。また、頻繁に山口図書館へ通った記述も散見できる。

『雑草風景』
種田/山頭火‖著,杖社,1936.2,Y911.3/G 6
『孤寒』
種田山頭火‖著,杖社,1939.1,Y911.3/G 9
『鴉(雀)』
種田 山頭火∥著,ほるぷ出版,1983.12,Y911.3/L 3

其中庵から風来居の時代に詠まれた句を収録した句集。中に、「炎天のレールまつすぐ」という句がある。奥付には、「(舌代)山頭火翁供養として米二升、酒一升又は赤味噌一貫目等を物納の人に此の句集を贈呈します。」とある。

『山頭火いろはかるた』
種田 山頭火‖(作),林 昭男,1996.11,Y911.3/M 6

中原 中也(なかはら ちゅうや) 1907-1937 詩人

現・山口市湯田温泉に中原病院の長男として生まれる。小学校の頃から短歌を作り、文学へと傾倒していく。その後、故郷を離れるが、「帰郷」などの詩を残している。晩年は、郷里に帰ることを願いながら、鎌倉の地でその生涯を閉じた。

『山羊の歌』
中原中也∥著,麦書房,1970,Y911.5/K 0
『中原中也全集』
中原 中也∥著,角川書店,1960.03,R918.6/J 0

山口駅

児玉 花外(こだま かがい) 1874-1943 詩人

父が長門市の出身。花外は京都の生まれだが、故郷は山口県と語っていた。東京専門学校中退後、バイロンに傾倒して詩作を始める。明治36年に出した『社会主義詩集』が日本最初の文学作品の発禁処分を受けた。大正13年、父祖の地を訪ね、多くの即興詩を『防長新聞』などに発表した。

『児玉花外詩集』
児玉 花外∥著,白藤書店,1982,Y911.5/L 2

若山 牧水(わかやま ぼくすい) 1885-1928 歌人

行旅と酒を愛した歌人・若山牧水は、明治40年に山口を訪れた際、瑠璃光寺の五重塔を見物した。香山公園には、この時詠んだ一首が刻まれた石碑がある。

『若山牧水全集 第一卷』
若山 牧水∥著,雄鷄社,1958.05,R918.6/I 8

国木田 独歩(くにきだ どっぽ) 1871-1908 小説家

独歩は明治9年、父の山口裁判所勤務に伴い、山口県に移り住み、以後、18年間を岩国や山口、柳井など県内各地で過ごした。

「少年界」
金港堂,R051/D 2

「山の力」は14歳の頃の山口での思い出をテーマにした作品で、山口市の北方に聳える東方便山に、親には内緒で友だちと磁石石を採りに行き、一度は失敗するが、二度目に成功する少年の話。

『定本 国木田独歩全集 第3巻』
国木田 独歩∥著,学研,1978,R918.6/K 8
『国木田独歩と山口』
小川 五郎,1940.02,Y910/H 0
『国木田独歩の文学碑』
早稲田大学文学碑と拓本の会∥編,瑠璃書房,1981.11,Y910/L 1

田嶋 準子(たじま じゅんこ) 1910-?  小説家・翻訳家

現在の山口市大内御堀に生まれたが、父が鉄道官吏であったため任地を転々とした。大正12年、20歳の時、「隠岐の女」が『婦人公論』に掲載されるなど華やかなスタートを切ったが、その後、不遇な時代を経験する。昭和13年、朝日新聞の懸賞小説に応募して、故郷山口を舞台にした小説「青雲」で佳作に選ばれた。入選作は大田洋子の「桜の国」であった。

『青雲』
田島 準子∥著,六芸社,1935,Y/TA26

仁保駅

嘉村 礒多(かむら いそた) 1897-1933 小説家

吉敷郡仁保村に生まれる。35年という短い人生の中、わずか6年の作家生活であったが、徹底して自己の生活や内面を描き、「私小説の極北」と称された。故郷を捨てて出奔して以来8年ぶりに、帰郷した折の感慨が作品「父の家」「神前結婚」に描かれている。

『嘉村礒多全集 第二卷』
嘉村 礒多∥著,白水社,1934.05,R/KA42
『嘉村礒多全集 第三巻』
嘉村 礒多∥著,白水社,1934,Y918/G 4
『途上』
嘉村 礒多∥著,江川書房,1932,VY/KA42

篠目駅から地福駅まで

氏原 大作(うじはら だいさく) 1905-1956 小説家・児童文学作家

阿武郡篠生村に生まれる。昭和13年、主婦の友社の懸賞小説で「幼き者の旗」が一等に入選し、一躍有名になった。戦後は 故郷を舞台に、児童文学や家庭小説、放送劇など多くの作品を残した。生涯、故郷を離れることなく文筆活動を続けた。前妻トヨコが肺結核でなくなった体験を「女の碑」という作品に残した。

『幼き者の旗』
氏原 大作∥著,主婦之友社,1939,Y/U 57
「少年倶楽部 第25巻第13号」
大日本雄辯會講談社,1938.11,Y/U 57
『氏原大作全集 第3巻』
氏原/大作∥[著],条例出版,1976.11,Y918/K 6

斯波 四郎 (しば しろう) 1910-1989 小説家

阿武郡篠生村に生まれる。多くの職業を転々とし、昭和12年毎日新聞社に入社し、「サンデー毎日」の編集に従事。昭和34年、故郷を舞台にした「山塔」で第41回芥川賞を受賞。『檸檬・ブラックの死』『愛と死の森』『含羞の花』などの著書がある。

『山塔』
斯波/四郎∥著,文芸春秋新社,1959.9,Y/Sh15
「早稲田文学 20巻5号」
雪華社,1959.5,Y/Sh15
「えきすぷれす No.30」
輸送経済新聞社∥編,日本通運株式会社出版部,1966.3,Y914/J 6

山口中学校在学中、放課後になると山口図書館にとびこみ1,2時間勉強した、という記述がある。現在は「クリエイティブ・スペース赤れんが」として使用される一の坂川沿いの初代県立図書館に通った姿がうかがえる。

大佛 文乃 (おさらぎ ふみの) 1938-1995  詩人

阿武郡阿東町地福に育ち、多感な少女期の思いを独特な詩風で綴った詩集『紅皿』で注目された。詩集『冬の花わらび』『おせん淵』で、薄幸に負けず、古い因習のなかで生き抜いた村の女たちへの思いを詠った。難病に倒れ、57歳で亡くなるが、生家跡地に「おせん淵」の詩碑が建立され、詩業をまとめた全詩集も刊行されている。

『冬の花わらび』
大仏 文乃∥著,1980.12,Y911.5/L 0
『大佛文乃全詩集』
大仏/文乃∥著,東洋図書出版,2005.4,Y911.5/N 5
『詩集紅皿』
大佛 文乃∥著,思潮社,1969,Y911.5/J 9
『おせん淵』
大仏文乃∥詩,サンブライト出版,1984.7,Y911.5/L 4

津和野駅

森 鷗外(もり おうがい) 1862-1922 小説家・軍医

津和野藩典医の家に生まれ、藩校養老館で学び、10歳で上京する。明治14年に東京大学医学部を卒業し、陸軍軍医となる。明治17年から4年間、ドイツに留学し、衛生学など学ぶ。軍務と文学活動の矛盾に苦悩しながら独自の近代文学を創出した。作品に『舞姫』『青年』『雁』など。平成24年は、森鴎外生誕150年に当たる。「中国の或る小さいお大名の御城下」に生まれた哲学者金井が主人公の「ヰタ・セクスアリス」は、自伝的中編小説。鷗外の唯一の発禁作品。「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と表白した遺言には故郷津和野への万感の思いが込められている。

『鴎外全集 第五卷』
森 鴎外,鴎外全集刊行會,1927.08,R/MO45
『鴎外全集 第38巻』
森鴎外∥著,岩波書店,1975,R918.6/K 1
『文学評論しがらみ草紙』
新声社,1889-1893,R910.5/B 9
『森鴎外の父森静男のこと』
柳 星甫 防長医界社 1947.05 Y289/MO45

森鷗外と山口県の関わりとして、鷗外の父が現在の山口県防府市出身であることがあげられる。

自筆原稿

  • 「女の碑」氏原大作
  • 「夏の頃について」斯波四郎

パネル

「山口線沿線の文学を辿る道」「帰郷」「神前結婚」「女の碑」「山塔」「おせん淵」

提供:やまぐち文学回廊構想推進協議会

参考文献

  • 『やまぐちの文学者たち』やまぐち文学回廊構想推進協議会編・発行,2006
  • 『やまぐちの文学を辿る道』やまぐち文学回廊構想推進協議会編・発行,1998
  • 『防長文学散歩』和田 健著,和田 健,1974
  • 『日本近代文学大事典』全6巻,日本近代文学館編,講談社,1977
  • 『新潮日本文学辞典』磯田光一ほか編,新潮社,1988
  • 島根県公式ホームページ

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