広沢真臣(明治維新人物調べ方案内 No.28)

広沢真臣について調べる資料をご紹介します。資料は山口県資料コーナーや明治維新人物ギャラリーの他、書庫内にあります。

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人物紹介

広沢真臣 (ヒロサワ・サネオミ)
天保4年(1833)~明治4年(1871)
諱:直温・真臣、通称:季之進・金吾(波多野)・藤右衛門・兵助・真臣(広沢)、雅号:障岳

萩藩士。長門国萩の大組柏村家に生まれ、弘化元年(1844)大組波多野家の養子となる。

安政6年(1859)以降、藩政に携わる。元治元年(1864)禁門の変(蛤御門の変)の後、藩内が正義派(主戦派・強硬派)と俗論派(恭順派・保守派)に分かれて激しく対立すると、俗論派により野山獄に投獄される。翌年、藩内の内戦(大田絵堂の戦い)が終結すると、獄から出され、藩の政治の中心で活躍。藩命により広沢と改名。慶応2年(1866)の四境戦争時は藩を代表して幕府側の勝海舟と休戦協定を結び、翌年には大久保利通・木戸孝允・広沢らの間で薩長の出兵盟約を結んだ。

新政府では参与、徴士、民部大輔、参議などを歴任。薩長土3藩による版籍奉還の会議においては長州藩の代表として参加。明治2年(1869)永世録1800石を賜る。明治4年(1871)私邸にて暗殺された。39歳没。

資料紹介

伝記

『参議広沢真臣卿略伝』([村田峰次郎],1923,請求記号:Y289/H72)
広沢に直接会ったことがある著者による伝記。「逸話」には著者が知る広沢の風貌や人柄が記されている。巻頭に肖像あり。
『広沢眞臣卿傳記』(内田伸執筆,広沢眞臣卿顕彰会,1993,請求記号:Y289/H72)
目次は無いが、約25頁にまとめられており読みやすい。p25の「逸話」は『参議広沢真臣卿略伝』から抜粋したもの。巻頭に肖像あり。
『防長の隠れた「偉人」たち』p121~124(一坂太郎著,春風文庫,2002,請求記号:Y280/N 2)
偉人の生涯を簡潔に記してある。

資料

『廣澤真臣日記 復刻版』(広沢真臣[著],マツノ書店,2001,請求記号:Y215.8/N 1)
昭和6年発行の初版の誤植・誤読を修正し、『参議広沢真臣卿略伝』全文や、国立国会図書館が作成した目録・年譜を付載した復刻版。文久3年(1863)、慶応3年(1867)~明治4年(1871)の日載と備忘録を収録。巻頭に肖像写真あり。

広沢の暗殺事件に関して

『明治秘史疑獄難獄』(尾佐竹猛著,批評社,1998,請求記号:R210.6/M 8)
「廣澤参議暗殺事件(明治四年)」p35~76
広沢の暗殺事件の際に行われた参座制による裁判について詳しく書かれている。
『法窓秘聞』(尾佐竹猛著,批評社,1999,請求記号:R327/M 9)
「犯罪捜査の詔書 廣澤参議暗殺事件」p111~126
『日本政治裁判史録 明治・前』(我妻栄[ほか]編,第一法規,1968,請求記号:Y312/J 8)
『近世日本国民史 81 内政統制篇』(徳富猪一郎著,近世日本国民史刊行会,1961,請求記号:R210.5/F 3)
「第14章 廣澤参議の暗殺事件」p348~382
巻末に人物概覧と索引あり。
『明治暗殺史』(坂井邦夫著,啓松堂,1933,請求記号:R210.6/G 3)
「廣澤眞臣」p62~73
新聞等を元に明治期の暗殺事件をまとめた資料。p65~66には目撃者による犯人の人相が記されている。
『明治文化史としての日本陪審史』(尾佐竹猛著,邦光堂書店,1926,請求記号:327.67/F 6)
「第三章第一節第二項 廣澤参議暗殺事件」p94~137
広沢の暗殺事件を含め、陪審の試みとなった裁判についてまとめた資料。

その他

『萩藩城下町の埋もれた歴史 第一巻』(森田栄介,2015,請求記号:Y215/P 5)
p42~53に広沢の書簡が影印で掲載されている。
『平成新修旧華族家系大成 下巻』(霞会館華族家系大成編輯委員会編纂,霞会館,1996,請求記号:R288.5/M 6)
p425に、広沢家の家系図あり。
『明治国家の権力と思想』(吉川弘文館,1979,請求記号:312.1/K 9)
佐々木克「版籍奉還の思想―広沢真臣を中心に―」p63~114
版籍奉還に至る広沢の行動や思想を、資料を元に考察。

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