嘉永6(1853)年6月の黒船艦隊の来航は、江戸幕府の根幹を揺るがし、大きな歴史の転換点となりました。吉田松陰(よしだしょういん)を始め、多くの志士たちが理想の国づくりをめざして立ち上がりました。そのなかのひとりに土佐藩の坂本龍馬(さかもとりょうま)がいます。
坂本龍馬は、高知城下に生まれましたが土佐を離れ、幕臣・勝海舟(かつかいしゅう)の門下として日本初の海軍学校である海軍操練所の設立に関わります。また、浪士集団による「亀山社中(かめやましゃちゅう)」を結成し、長崎を拠点に船や銃などを売買する貿易会社を設立しました。さらに、敵対する長州藩と薩摩藩を結びつけ、明治維新への足がかりとなる薩長同盟の締結に尽力しました。龍馬は、慶応3(1867)年33歳で亡くなる前の3年あまりを、妻のお龍(りょう)と共に下関で暮らし、多くの人物たちと関わりのなかで、新しい国づくりのために奔走しました。
今回の展示は、当館所蔵資料の中から、坂本龍馬と久坂玄瑞(くさかげんずい)・高杉晋作(たかすぎしんさく)ら長州藩士との交流を物語る関係資料を紹介し、幕末を駆け抜けた龍馬の魅力を探ります。
- 場所:山口県立山口図書館 2F展示コーナー
- 展示期間:平成22年5月1日(土曜日)~平成22年8月29日(日曜日)
- 展示資料:約50冊
目次
展示目録
久坂玄瑞と龍馬脱藩への道
- 久坂玄瑞(くさか げんずい)
- 天保11年~元治元年(1840~1864)
- 萩藩士。藩の医学所好生館、松下村塾に学ぶ。高杉晋作と並び、松門の双璧と呼ばれる。藩の尊皇攘夷派の中心的な人物で、江戸遊学の際に、土佐勤王党の党首・武市半平太と交流を深める。
坂本龍馬は、文久2年(1862)1月、武市半平太の使者として玄瑞に会うため萩を訪れた。このとき龍馬は、藩校明倫館の槍剣術場で剣術の試合を行っている。玄瑞からの手紙を携えて萩を立ってから約3ヶ月後の同年3月、龍馬は土佐を脱藩する。
書名 | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
---|---|---|---|---|
久坂玄瑞全集 | 福本 義亮 編 | マツノ書店 | 1978.2 | Y289 KU82 |
久坂玄瑞 | 香川 政一 著 | 東行庵 | 2000.7 | Y289 KU82 |
吉田松陰と塾生たち | 萩博物館 編 | 松下村塾開塾150年記念誌出版委員会 | 2007.9 | Y289 Y 86 N 7 |
史跡明倫館水練池及び有備館附明倫館碑保存修理工事報告書 | 萩市 | 1970 | Y521 K 0 | |
維新の礎士 久坂玄機 玄瑞兄弟 | 岡崎 兵衛 著 | 岡崎 兵衛 | 1996.8 | Y289 KU82 |
久坂玄瑞遺墨 | 一坂 太郎 著 | 東行庵 | 1994.12 | Y289 KU82 |
三条實美公履歴 第3 | 東久世 通禧卿 詞 | 三条實美公履歴発行所 | 1907 | W289.1 Sa64 |
長州藩幕末維新史概説 | 小山 良昌 編 | 小山 良昌 | 1999.4 | Y215.8 M 9 |
木戸孝允と龍馬の結んだ薩長両藩
- 木戸孝允(きど たかよし)
- 天保4年~明治10年(1833~1877)
- 萩藩士。西郷隆盛、大久保利通と並び維新の三傑のひとり。吉田松陰に兵学を学ぶ。
坂本龍馬と時を同じくして、江戸に学び、江戸三大剣術道場のひとつであった練兵館で修行する。公武合体派に反対し、尊皇攘夷運動に奔走。藩の要職に就いて、他藩との外交・交渉などの役目を担った。
筑前勤王派や土佐藩士・中岡慎太郎らの活動、坂本龍馬の度重なる説得により、敵対していた薩摩藩と手を結ぶことを決意。慶応2年(1866)1月、京都で薩摩藩の重臣小松帯刀、西郷隆盛と会見し、薩長同盟を締結する。
書名 | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
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松菊先生遺墨集 | 巧芸社 | 1928.12 | Y289 KI 13 | |
維新の英傑木戸孝允 | 山口県教育委員会 編集 | 山口県教育委員会 | 1981.1 | Y289 KI 13 |
長防臣民合議書 | 長門蔵版局 | 長門蔵版局 | 1866 | Y215.8 A |
長州と薩摩 | 下関市立長府博物館 編集 | 下関市立長府博物館 | 2008.11 | Y215.8 N 8 |
中岡慎太郎全集 | 宮地 佐一郎 編集・解説 | 勁草書房 | 1991.6 | R289.1 N 42 |
大西郷全集 第2巻 | 大西郷全集刊行会 | 1927 | R289.1 SA18 | |
筑前維新の道 | 図書出版のぶ工房 編集 | 図書出版のぶ工房 | 2009.8 | Y215.8 N 9 |
三吉慎蔵と龍馬襲撃事件
- 三吉慎蔵(みよし しんぞう)
- 天保2年~明治34年(1831~1901)
- 長府藩士。長府藩校敬業館に学び、のち明倫館に学ぶ。宝蔵院流の槍の名手。
坂本龍馬と親交のあった長府藩士・印藤聿(いんどう のぶる)の仲介で、慶応2年(1866)1月、薩長同盟締結のため京都に向かう龍馬に同行する。龍馬と供に寺田屋で幕府役人の襲撃に会い、深手を負った龍馬の救出に尽力する。第2次長州征討の小倉口の戦いでは、報国隊軍監として、高杉晋作らと供に戦う。
慎蔵の実直な人柄に龍馬は絶大な信頼を置き、薩摩藩の動静などについて知らせる手紙をたびたび書き送っている。龍馬の遺言に従い、龍馬亡き後、妻・お龍とその妹・君枝の二人の面倒を見た。
書名 | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
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三吉慎蔵と坂本龍馬 | 下関市立長府博物館 編 | 下関市立長府博物館 | 2001.10 | Y289 MI91 |
坂本龍馬關係文書 第二 | 岩崎 英重 編輯 | 日本史籍協會 | 1926.6 | R215.8 F 6 |
坂本龍馬と下関 | 下関市立長府博物館 編集 | 下関市立長府博物館 | 1992.11 | Y267 M 2 |
私の坂本竜馬 | 小野沢 知之 編 | ひかる企画 | 2000.1 | 289.1 Sa32 |
竜馬が愛した下関 | 一坂 太郎 著 | 新人物往来社 | 1995.8 | Y215.8 M 5 |
高杉晋作と龍馬の見た戦い
- 高杉晋作(たかすぎ しんさく)
- 天保10年~慶応3年(1839~1867)
- 萩藩士。藩校明倫館、松下村塾に学ぶ。文久3年(1863)に 奇兵隊を結成し、関門海峡で外国船を砲撃するなど攘夷活動を展開。
第1次長州征討の後、藩論を討幕に転換し、慶応2年6月に始まった第2次長州征討では海軍総督として指揮をとる。このとき薩摩藩名義で長州藩が購入した桜島丸(乙丑丸)引き渡しのため下関に着いた坂本龍馬は、小倉口の戦いに参戦、晋作とともに幕府軍と戦った。
薩長同盟締結の後、伏見の寺田屋で襲撃された龍馬が、身を守るため使用したピストルは、晋作から送られたものと言われる。
書名 | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
---|---|---|---|---|
高杉晋作写真集 | 古川 薫 [ほか]著 | 新人物往来社 | 1984.2 | Y289 Ta54 L 4 |
高杉晋作と奇兵隊 | [東行庵 編] | 1989.10 | Y289 Ta54 L 9 | |
竜馬の翔けた時代 | 京都国立博物館 編集 | 京都新聞社 | 2005.7 | R215.8 N 5 |
明治維新の光と影 | 萩博物館 編集 | 萩博物館 | 2008.9 | Y216.1 N 8 |
毛利家乗 | 長府毛利家 編 | 防長史料出版社 | 1975. | Y215 K 5 |
定本奇兵隊日記 下 | 田村 哲夫 校訂 | マツノ書店 | 1998.3 | Y215.8 M 8 |
旧臣列伝 | 下関市立長府博物館 編 | 下関市立長府博物館 | 2004.10 | Y215.8 N 4 |
散兵教練書 | 1866 | Y396 A | ||
幕長戦争小倉口戦争の展開過程 | 三宅 紹宣 著 | 山口県地方史学会 | 2008.11 | Y215.8 N 8 |
伊藤九三と龍馬の暮らした下関
- 伊藤九三(助太夫)(いとう きゅうぞう)
- 天保1年~明治5年(1830~1872)
- 長府藩の本陣を務める伊藤家の当主。伊藤家は、代々オランダ商館長が逗留する宿としてシーボルトも滞在したほか、対馬藩を介しての朝鮮交易などにも関わっていた。
伊藤九三は、下関における坂本龍馬の経済的支援者で、慶応元年(1865)以来、下関に来るたび龍馬は伊藤家を宿とした。また、大年寄として広い人脈を持つ九三は、龍馬の数々の依頼にも奔走している。
慶応3年(1867) 2月、下関居住を認められた龍馬に、九三は自宅の一室「自然堂」を提供。龍馬は、長崎にいた妻のお龍を呼び寄せ、亡くなるまえのひとときを共に過ごした。
書名 | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
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赤間関本陣伊藤家-海峡人物往来 | 下関市立長府博物館 編 | 郷土の文化財を守る会 | 1991.2 | Y288 M 1 |
関の町誌の世界 | 下関市立長府博物館 編集 | 下関市立長府博物館 | 1995.2 | Y267 M 5 |
桂弥一と長門尊攘堂 | 下関市立長府博物館 編 | 下関市立長府博物館 | 2000.2 | Y289 KA88 |
坂本竜馬を歩く | 一坂 太郎 著 | 山と渓谷社 | 2006.12 | Y215.8 N 6 |
龍馬とお龍の下関 | 古城 春樹 著 | 瞬報社写真印刷 | 2009.8 | Y267 N 9 |
わが夫坂本竜馬 | 一坂 太郎 著 | 朝日新聞出版 | 2009.11 | Y215.8 N 9 |
歴史読本 2007年1月号(第52巻第1号通巻809号) | 新人物往来社 | 2007.1 | R210.05 I 6 | |
下関・維新物語 | 清永 唯夫 著 | 新日本教育図書 | 2004.8 | Y267 N 4 |
白石正一郎と志士たちの交流
- 白石正一郎(しらいし しょういちろう)
- 文化9年~明治13年(1812~1880)
- 清末藩の荷受問屋として財をなした白石家の当主。日本独自の文化思想を重んじる国学を学び、尊皇攘夷派の志士たちを経済的に支援するようになる。高杉晋作の奇兵隊結成にも尽力。自らも奇兵隊士となる。
交通の要所にあった白石邸は、長州藩士はもとより、西郷隆盛ら諸藩の志士たちの活動拠点として、多くの志士たちが行き交う情報収集の場ともなった。
正一郎が書き残した日記には、400人にものぼる志士たちの動静が克明に記されており、正一郎と志士たちの交流をうかがい知ることができる。
書名 | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
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白石家文書 | 下関市教育委員会 編 | 1968 | Y289 SH82 | |
白石正一郎日記 | 下関市役所 | 1959.11 | Y289 SH82 | |
白石正一郎と幕末の下関 | 下関市立長府博物館 編 | 下関市立長府博物館 | 1999.3 | Y289 SH82 |
高杉晋作と奇兵隊 | 山口県立山口博物館 編集 | 山口県立山口博物館 | 1989.7 | Y289 Ta54 L 9 |
竜馬が歩いた幕末地図 | 木村 幸比古 監修 | 朝日新聞出版 | 2009.11 | Y215.8 N 9 |
桜山歌集 | 白石 正一郎 [等]編 | 1866 | Y911.1 A | |
櫻山の歌集 | 谷 省吾 覆刻・解説 | 桜山神社 | 2008.7 | Y911.1 N 8 |
明治・大正期の龍馬伝
書名 | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
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汗血千里の駒 (新日本古典文学大系16) | 中野 三敏 [ほか]編集委員 | 岩波書店 | 2003.11 | R918.6 N 1 |
幕末英傑阪本龍馬 | 服部 北溟 著 | 冨田文陽堂 | 1911.4 | 289.1 SA32 |
雋傑坂本龍馬 | 坂本中岡銅像建設會 編纂 | 坂本中岡銅像建設會 | 1927.5 | 289.1 SA32 |
坂本龍馬 | 千頭 清臣 著 | 博文館 | 1914.6 | 289.1 SA32 |
坂本龍馬 (少年読本第19編) | 坂崎 紫瀾 著 | 博文館 | 1914 | R289.1 SA32 |
坂本竜馬 (1925年~1927年「雄弁」連載 博文館文庫 1941年の再刊) | 白柳 秀湖 著 | 作品社 | 2009.9 | Sh87 |
坂本龍馬 全 | 和田 恒彦 著作 | 東亞堂書房 | 1911.9 | W 12 |
坂本龍馬言行録 (偉人研究 第76編) | 渡辺 修二郎 編著 | 内外出版協会 | 1913 | R289.1 SA32 |
阪本龍馬言行録 (修養史伝 第11編) | 川又 慶二 著 | 東亞堂書房 | 1917.4 | 289.1 SA32 |
幕末関係地図(復刻)
書名 | 収録誌 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
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横浜明細全図 | 『歴史読本』2006年12月号特別付録 | 新人物往来社 | 2006.12 | R210.05 I 6 |
新訂萬国全図 | 『歴史読本』2006年12月号特別付録 | 新人物往来社 | 2006.12 | R210.05 I 6 |
文久三年内裏の図 | 『歴史読本』2006年12月号特別付録 | 新人物往来社 | 2006.12 | R210.05 I 6 |