「新島八重と明治の女性たち」
新島八重は会津藩の砲術家の娘として生まれ、会津戦争では自らスペンサー銃を持って戦った勇壮さから「幕末のジャンヌ・ダルク」と称される女性です。
同志社大学の創始者であり、日本を代表するクリスチャンである新島襄の妻となります。
後に日本赤十字社に加盟し、日清戦争・日露戦争中は篤志看護婦として傷病者の看護にあたりました。
その功績が認められ、勲7等に叙せられ、宝冠章を受けています。
新島八重と当時の女性たちに関する資料をご紹介いたします。
期間:平成25年5月1日(水)~平成25年8月29日(木)
展示資料の紹介
- 『婦人世界』第4巻第13号
- 實業之日本社、1909.06、[当館請求記号:R051/D 6]
- 八重が会津戦争時のことを語った雑誌記事が掲載されています。
- 会津戦争記聞
- 『錦絵幕末明治の歴史 4 維新の内乱』小西 四郎‖編著、講談社、1977、[当館請求記号:Q721.8/K 7]
- 明治元年(1868)に東北地方で展開された会津戦争を描いた錦絵です。
八重も七連発銃を手に籠城戦に加わりました。 - 梅園唱歌の図 楊周洲周延画 明治二十年
- 『錦絵幕末明治の歴史 9 鹿鳴館時代』小西 四郎‖編著、講談社、1977、[当館請求記号:Q721.8/K 7]
- 鹿鳴館時代の風俗を描いた錦絵です。