長井雅樂 (1819-1863)は江戸時代後期の長州藩士です。
天保8(1837)年に小姓として藩主・毛利敬親に仕え始めると、しだいに頭角を現し、要職を歴任しました。敬親からの信任も厚く、世子・元徳の養育担当にもなっています。
黒船来航後の文久元(1861)年、長井は積極的開国案である「航海遠略策」を説き、公武合体論を藩論として携え、公家・武家間を精力的に周旋します。この案は当時の国家首脳陣にも受け入れられつつありましたが、文久2(1862)年、坂下門外の変による公武合体派の失脚をきっかけに時勢が一変します。次第に大きくなる尊王攘夷運動の展開に伴い、藩内でも長井排斥の勢力が台頭します。ついに切腹を命じられ、今から160年前の文久3(1863)年2月、自邸で自害しました。
長井自身は政争に敗れ、長州藩の責をすべて負う形で世を去りましたが、彼が遺した「航海遠略策」は、明治期以降の開国政策と重なるものとなりました。
展示期間:令和5年1月28日(土曜日)~令和5年3月30日(木曜日)
当館作成のパスファインダーもございます。
→長井雅楽(明治維新人物調べかた案内 No.29)
展示資料
ケース内資料
『長井雅楽建白書』長井雅楽,1913,当館請求記号:Y215.8/E 3
長井が藩主・毛利敬親に具申した「航海遠略策」の原形。
高く評価されたこの案を基に、周布政之助らによる調整が加えられたものが長州藩の藩是となった。
しかし、長井は公武周旋時、一部で藩案でなく自身の作成した原案を使用したため、時勢が一変し政策案が朝廷に対する誹謗を含むとして糾弾された際、敬親もかばいきれず、重罰である自刃を命じるに至ったとされる。
『伊藤公直話』伊藤博文述,千倉書房,1936.07,当館請求記号:Y289/I 89
明治維新後、元勲となった伊藤博文による述懐をまとめた資料。
長井について、「人品も立派だつたし、大きな人で、眼光炯々という方だ。それで人に丁寧で、ちやんと裃の膝を崩さない。それはもう大した利け者であつた」と紹介し、「あの頃の人では、よほど目は見えてゐた」と評価している。
一方で、幕末期、久坂玄瑞を中心とした長井暗殺計画に途中参加したが、未遂に終わったというエピソードにも言及しており、当時の藩内対立の苛烈さがうかがえる。
借りることができる資料
『長井雅楽詳伝』中原邦平著,マツノ書店,2015.7,当館請求記号:Y289/N 14
『もう一つの維新』奈良本辰也著,新潮社,1974.12,当館請求記号:Y289/N 14
『防長回天史 3』末松謙澄著,マツノ書店,2009.9,当館請求記号:Y215.8/N 9
『郷土文化ながと 第6号』長門市郷土文化研究会[編],長門市郷土文化研究会,1994.05,当館請求記号:Y272/L 9
『維新殉難の人々と萩』松本二郎著,萩郷土文化研究会,1968.1,当館請求記号:Y280/J 8
『萩の歴史』萩郷土博物館友の会編,萩郷土博物館友の会,1984,当館請求記号:Y274/L 4
『長州藩』三栄書房,2015.7,当館請求記号:Y215.8/P 5
『〈幕末維新〉動乱の長州と人物群像』新人物往来社,2005.7,当館請求記号:Y215.8/N 5
『伊藤博文直話』伊藤博文[述],新人物往来社,2010.4,当館請求記号:Y289/I 89
『幕末維新期の日本と世界』友田昌宏編,吉川弘文館,2019.3,当館請求記号:210.59/P 9
『幕末社会』須田努著,岩波書店,2022.1,当館請求記号:210.58/Q 2
『地図でスッと頭に入る幕末・維新』木村幸比古監修,昭文社,2020.11,当館請求記号:210.58/Q 0
『<通訳>たちの幕末維新』木村直樹著,吉川弘文館,2012.2,当館請求記号:210.59/P 2
『江戸の外国公使館』港区立港郷土資料館編集,港区立港郷土資料館,2005.3,当館請求記号:R210.58/N 5
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