周布政之助は (1823-1864)は江戸時代後期の長州藩士です。今から200年前の文政6(1823)年3月23日、周布兼正の第5子として萩町江向若松屋横丁(現在の萩市)にて生まれました。生後まもなく父や兄が病没し、わずか6カ月で68石の家督を継ぐこととなります。母方の親戚に村田清風(1783-1855)がおり、彼の存命中は指導や助言といった形でたびたび薫陶を受けています。
弘化3(1846)年に藩に登用されると、嘉永6(1853)年には藩政中枢部の役職である右筆役に就任。くしくも黒船来航の年であり、以降、長州藩内は思想対立が克明になってゆきます。周布は政治家として藩政改革、周旋に活躍しますが、対立の影響や自身の言動がもとで謹慎処分を3度受けています。
文久3(1863)年、八月十八日の政変が発生。慎重派として藩内の武力決起派攘夷論者を押さえていた周布でしたが、翌元治元(1864)年、入獄中の高杉晋作(1839-67)を訪ねた件で謹慎となり、政局の調整が難しくなってしまいます。さらにその後発生した禁門の変、下関戦争の敗北により、藩内の主導権争いは混乱を極めます。
責任を感じた周布は、同年9月26日の早朝、蟄居先の吉富簡一(1838-1914)宅で自刃。享年42歳でした。
長州藩の政治家として、また攘夷論者として、幕末期の目まぐるしく変化する勢力図に翻弄される立場にあり、最期は自責の念から命を絶った周布政之助。遺書で「敵兵が来た際ににらみを利かせられるよう、遺体を交通の要所に埋めるように」指示していたことを踏まえ、自刃の地付近に埋葬され、のち昭和6(1931)年に記念碑が建立されました。そしてその地域名は「周布町」(山口市大歳)として、現在まで残されています。
展示期間:令和5年4月1日(土曜日)~令和5年6月29日(木曜日)
当館作成のパスファインダーもございます。
→周布政之助(明治維新人物調べかた案内 No.22)
展示資料
ケース内資料
『毛利氏と幕末維新展 特別展』広島市文化財団広島城,1998,当館請求記号:Y216/M 8
周布は大の酒好きであったが、酔った際に問題を起こし2度の処分を受けている。「麻田公輔宛桂小五郎説諭」は藩首脳部として交流のあった桂小五郎(木戸孝允)から送られた絵。画像では、線の入った「小人之眼」には見えない「天地」が「君子之眼」には見えていたり、盃に「麻田先生命」が入っていたり、飲酒を控えて酔眼から醒めてほしいという桂からの気遣いが表現されているという。山口県立博物館所蔵。
『贈正四位周布政之助君碑銘』井上馨撰,1896,当館請求記号:Y289/SU 19
周布政之助顕彰碑は大歳地区だけでなく、山口市サビエル記念聖堂そばにもある。こちらは、正四位追贈を記念して明治29年に建碑されたもので、政之助嫡子・公平からの依頼を快諾した井上馨による銘文が入っている。 周布は井上とも接点があり、文久3年、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、井上勝の5青年(いわゆる「長州ファイブ」)をひそかにイギリスへ洋行させた。この留学の知見は、のちの彼らの思想に大きな影響を与えた。
借りることができる資料
『周布政之助伝 上』[周布公平監修],東京大学出版会,1978,当館請求記号:Y289/SU19
『周布政之助伝 下』[周布公平監修],東京大学出版会,1978,当館請求記号:Y289/SU19
『偉人周布政之助翁伝』妻木 忠太著,村田書店,1984.03,当館請求記号:Y289/SU19
『周布政之助』周布政之助百年祭実行委員会,,1964,当館請求記号:Y289/SU19
『周布政之助小伝』大谷喜信著,長門市教育委員会,2015.3,当館請求記号:Y289/Su19
『周布家寄贈周布政之助資料図録』山口県教育委員会編,山口県教育委員会,1979,当館請求記号:Y289/SU19
『郷土大歳のあゆみ』大歳地区史編纂委員会編,大歳自治振興会,,当館請求記号:
『明治維新と大歳』大歳明治維新150年記念事業実行委員会編集,大歳自治振興会,2018.3,当館請求記号:Y247/P 8
『幕末明治の人物と風景』萩博物館編集,萩博物館,2011.9,当館請求記号:Y216/P 1
『村田清風入門』平川喜敬著,平川 芳孝,1996.06,当館請求記号:Y289/Mu59
『清風読本』長門市教育委員会編集,長門市教育委員会,[2015.1],当館請求記号:Y289/Mu59
『そうせい公』石川和朋著,石川和朋,2013.10,当館請求記号:Y289/Mo45
『ますらをたちの旅』一坂太郎著,萩ものがたり,2006.10,当館請求記号:Y215.8/N 6
戻る