益田右衛門介(明治維新人物調べ方案内 No.1)

益田右衛門介について調べる資料をご紹介します。資料は山口県資料コーナーの他、書庫内にあります。

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人物紹介

益田右衛門介(マスダ・ウエモンノスケ)
天保4年(1833)~元治元年(1864)
幼名:幾三郎、号:翠山、通称:越中・弾正・右衛門介

萩藩の永代家老。益田元宣の次男として生まれ、嘉永2年(1849)に兄、父が死去したため十六歳で家督を継ぐ。嘉永6年(1853)の黒船来航の際は浦賀表御手当御用惣奉行を務め、安政3年(1856)に当職、安政5年(1858)には江戸当役を任された。文久3年(1863)の8月18日の政変により藩が失った政治勢力の回復のため、元治元年(1864)の禁門の変(蛤御門の変)で藩兵を率いるも敗退する。幕府への謝罪のため三家老の一人(福原越後国司信濃)として切腹。32歳没。
吉田松陰の兵学門下であり、松陰とは親交があった。また、慶応元年に旧臣によって建立された笠松神社に祀られている。

資料紹介

伝記

『益田親施』(田中助一著 明治百年記念益田親施公銅像建設期成会 1970 請求記号Y289/MA66)
『益田氏と須佐』(西村武正編集 須佐町教育委員会 1997 請求記号Y289/MA66)
(三十三代 益田親施p132)

人物略伝

『贈正四位益田親施略伝』(村田峰次郎 電気日報社 1934 請求記号Y289/MA66)
『須佐町の碑石と碑文』(須佐町文化財保護審議会編 須佐町教育委員会 1980 請求記号Y273.2/L 0)
(笠松神社 益田親施墓碑p7)
『須佐町誌』(須佐町誌編集委員会編 須佐町 1993 請求記号Y273.2/M 3)
(三三代 益田右衛門介親施p161)
『野史台維新史料叢書 13 傳記 4』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1974 請求記号R210.58/K 2)
(益田右衛門介p10)
『月刊・松下村塾 V0l.6』(月刊 松下村塾編集部編 山口産業 2005 請求記号Y289/Y 86/N 4)
(松陰のよき相談役 益田弾正p31)
『名家老とダメ家老』(加来耕三著 講談社 2006 請求記号281.04/N 6)
(京都政界復権を図り挙兵、「禁門の変」で敗れ切腹 益田右衛門介p156)

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